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シュッキンシタラ

出勤したら
とにかく早く
横に慣れる場所に行き
横になる

ただただそれだけ

授業の時間になれば
教科書とチョークだけ持って
教室に向かう

職員室には戻らない
戻っても辛いだけだから

むしろ
生徒と話しているときの方がよかった
でも
それを続けるのもたまらなかった

オキラレナイネラレナイ

続いて起きたのは
夜眠れないことである

浅い眠りを繰り返す
気がつくと朝になっている
出勤の準備をしなければならない

しかし
体が動かない

行かなければならないという思い
体が動かないという現実

その狭間の中で

気がつくと
大声でうなり続けていた

アーウーアーウー
呼吸に合わせて
声が出てしまう

家族に迷惑だなどとは
一切考えられない

何とか起き上がって
準備をして
疲れ切った体と心をかかえて
出勤していた

カコヲフリカエル

辛かった過去を振り返る
この行為はとても辛い

敢えて振り捨ててきたものを
なぜ振り返るのか

何となくではあるが
それが今ならできるような気がする

あの頃は辛かったよなあ

始まりは
休日の過ごし方であった

それまでは
日曜日が楽しみで
外回りの作業をしたり
物を作ったりしていたり

そんな日曜日が
だらだらと横になって過ごすようになっていた

体が動かない
とにかく横になるしかなかった
そんなことを繰り返していた

明日は妻と

デートだ

こんなことがあって、こんな風に考えたんだけど
どう思う

ただそれを互いに話し続ける

最初は上手くいかなかった

言い過ぎたり
言葉足らずで誤解したり

でも
今は
互いに
大丈夫だと
自覚している

だから
楽しみ

さあ明日は何を話そうかなぁ

ライフスタイル

最近つくづく思う

がんばらない
そう決めた

でも
やる気がないわけではない

すべきことはする

ただ、できるかぎりと思う

そこんところが
許せるようになった

結局それは
自分のライフスタイルを変えることになっていた

薬を飲む
飲めないときは無理しない

夜は寝る
寝られないときはそれでいい

早めに出て
辛かったら休む
行けそうなら行く
でも
急がない

ゆっくりでいい
早めに出てるから
ぎりぎりに着いたっていい

早くついたら
薬飲んで仕事に取りかかる

効率もいい

耳鳴りが聞こえる
まあ気にしない

いつものことさ

これが私のライフスタイルなんだ

そう思える
そんな自分にたどりつけた

みんなのおかげだ
家族のおかげだ

ありがたいなあ

レジリエンス

何とかゆっくりやっていけている。
最近、こんな言葉を耳にした。

レジリエンス
折れない心

沈んでいた頃は、
強い心が欲しいと熱望した。
しかし、それは実現しなかった。
そのことで、また沈んでいた。
正に、悪循環だ。

最近の自分を省みると、
絶対に壊れない頑丈な心が
手に入った訳ではない。

どんなことがあっても、
何とかやり過ごせる自分を
許せるようになった。

これで、心は折れなくなった。

どんなことがあっても、
前向きに受け止められるようになった。

どうも、これはレジリエンスなるものに
近いように感じている。



昔そうだったように

辛いときは休養し、耳鳴りも気にせず生活する。
それでも、何かストレスをためている自分に気づいた。

毎週土日のどちらか、妻とあれこれ話すために、
どちらかというと、言いたいことを聞いてもらうために、
約半日デートをすることにしている。
これが、なかなかいい。
のろけではなく、自分の状態を一番近いところでずっと見ていたのは
妻以外の誰もいない。
何の気兼ねもなく、全てを話せるのは、妻しかいない。

そのやりとりの中で、ある結論に達した。
それは、

あれこれと気に病まない。
いろんな人がいて、いろんな事が起こる。
それは当たり前であって、わざわざ他人が心配することではない。
自分は、とにかく自分にできる範囲の仕事をして、
終わったら、さっと帰る。
そして、帰ったら仕事はせず、ゆっくりして、できるだけ早く寝る。

薬がきっちり8時間効くので、その分の余裕をみる。
朝早く目が覚めても、起き上がらない。
起きてからは、とにかく車に乗っていくことだけを考える。
眠気があるときは、ゆっくりする。
できるだけ早めに家を出る。
途中で、停車してもよいように。
早く着けばそれはそれでいい。

なかなか割り切れないが、できるだけそうするように過ごしてきた。
そうすることで、自分をコントロールできるようになってきた。

気がついてみると、それは昔の自分がそうであったように、
そのように暮らしているということであった。

年を重ねたので、昔と全く同じではないにしても、
精神的には昔そうであったような状態になってきた。

癒やしの空間

晴れた休日に
海岸に行った。

車のドアを開け、外に出た。

「なんだろう、この気持ちのよさは。」

そこにあるのは、海の風景と、暖かい日差しと…

ふと気づいたのは、繰り返す波の音だった。

耳鳴りは消え、全身の緊張がほぐれている。

しばらく、ここにくることにしよう。

受診

さて、突然のダウンの衝撃と、耳鳴りをかかえて、病院へ向かった。
しばらく待って、名前を呼ばれた。

主治医はいつもの笑顔で迎える。

ダウンから、耳鳴りなど、思っていることを次々にしゃべった。
5分程度しゃべり続けていたかもしれない。

その後、医師から返ってきた言葉は
「でも、コントロールできているということですよね。」
「はぁ。」
「前のように、車に乗って事故起こしたり、夜分からなくなって廊下で寝てたりとか。」
「はあ。」
「そんなことは、ないといえますね。」
「はい。」
「それは、コントロールできているということですよね。」

確かにそう言われればそうである。
「でも…」

その後、15分程度話し合っただろうか。
ある結論に達した。

「このまま、何も変えないでいきましょう。」
「よく分かりました。」

結論は何だったのか。
それは、ストレスが知らない間に溜まっていることもある。
その時は、休養する必要がある。
耳鳴りもする。しかし、それは耳をふさいでも、薬を飲んでも治るのではない。

要するに、今までと何も変わらず、適当な休養をとりながら、耳鳴りもするけれど
それはそれで気にしない。
寝られないとしても、そんなに気にしない。
医者も、そのような症状を、治す力はないのだ。

何か力がふうーっと抜けていった。
薬を受け取り、ゆっくりと帰った。


耳鳴り対策

耳鳴り対策を考えた。
いろいろな音楽を聴いた。
ロック、ポップス、クラシック、プログレ、ジャズ、ヒップホップ
あらゆるジャンルの音楽を聴いてみた。
殆ど効果が無い。
唯一効果があったのは、ベートーベンのピアノソナタ「月光」であった。
しかし、それも聴いているときだけ気持ちが落ち着くだけで、
セミは鳴き続けている。

ホワイトノイズを聴いてみた。
ピンクノイズも聴いてみた。
確かに、ノイズにまぎれて、セミが遠くなったようだが、ヘッドホンをはずすと
セミは舞い戻ってくる。

オシレータソフトで、どのくらいの周波数の音か調べると、特定の周波数の音が重なっていることが
分かった。

しかし、それは音の高さが分かっただけで、何の解決にもならない。

病院へ行く前日だったので、もう医者と相談だと思ってそのままにした。
それしか方法がなかった。

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